2010年3月2日火曜日

ミスが見えづらい進行 ~『新テニスの王子様』2巻の回収問題に絡んで~

先日、ジャンプコミックス『新テニスの王子様』2巻での回収騒ぎがありました(ジャンプスクエア ジャンプ・コミックス『新テニスの王子様』第2巻に関するお詫びと交換のお知らせ)。原稿修正が処理されなかった、というのは大きなミスではありますが、こういう大規模な間違いは作画や現場がデジタル化されるまではまず起こりえない事故でした。

デジタル化以前の単行本作業では、雑誌掲載時の原稿が印刷所→編集部→作家と戻ってきて、作家がそれに修正した(りしなかったりしますが)ものが、改めて編集部→印刷所と回され、印刷所でそれを撮影してフィルムを起こし、それを元に印刷していました。ですから修正原稿が上がった時点で、以前の原稿はなくなっていたので昔の原稿がそのまま印刷される、ということはあり得なかったわけです。

ところがデジタル化されてからは状況が一変しました。

デジタル化以前の進行では、雑誌段階で一度版を起こしているのにも関わらず、コミックスになる際に改めてもう一度版を起こし直しています。一部の作家を除いてはほとんどの場合雑誌の原稿はほぼそのまま単行本に使えますから、1冊分丸ごとを撮影し直すというのはコストアップ以外の何者でもありません。そこでここ5年くらい、雑誌掲載時のデータをそのまま単行本に流用できるシステムがあちこちの印刷所や製版所で使用されています。つまり入稿時にスキャンされたデータが印刷所に蓄えられているので、直しがなければすぐにそのまま単行本に落とし込めるというわけです。これによってコストが抑えられるだけではなく、原稿の移動や処理による痛みや紛失の可能性が減りますし、物理原稿のキャッチボールによるタイムラグもなくなって進行を早めることもできるという、すばらしいシステムであります。原稿の修正がなければ、ですが。

 原稿の修正が発生すると、修正した部分だけを差し替える必要が出てきます。この修正箇所が少ないうちは対応は楽なのですが、修正箇所が増えていくとだんだん作業量が増していき、ある程度以上になると「だったら最初から全部取り直して方が楽だった」ということになります。『狩人^2』とか『Sigh You Key』なんかは明らかに一から撮り直した方がいい例です。

 ここまで読んでいただければおわかりいただけるように、今回の『新テニスの王子様』で起こったのはこの原稿の差し替え作業の失敗です。多分作家さんからの原稿の直しが届くのがかなり遅かったために、差し替えでそのまま原稿責了という形になったか、あるいは印刷所の方で修正前のデータに巻き戻ったかしたものと思われます。責了という形であれ、巻き戻りという形であれ、問題の責任のほとんどは印刷所に負わされることになるのではないでしょうか。

 ですが、責任を印刷所にばかり課すのは、私には不公平に感じます。今回のこの騒ぎの根本にあるのは、ミスが見えづらい進行環境なのではないかと思うからです。

 昭和……とまではいかなくても、前世紀では漫画の原稿にミスがある(と編集部が判断した)場合、特にスケジュールが厳しくて原稿を作家の所に戻す余裕がない雑誌の入稿時には、直接原稿に手を入れることはしょっちゅうでした。明らかに線がはみ出ているところにはホワイトをかけ、ベタの足りないところは埋め、トーン忘れの場合は編集部に置いてある61番あたりを貼り込んで、さしあたっての体裁を整えて入稿しました。そうした処理はそのまま印刷に出るので、作家は印刷物をみてチェックし、それを目安として戻ってきた原稿を直すことができたのです。

 ところが印刷所の進行がデジタル化されると、原稿に直接手を入れずに印刷所で取り込んだデータに手を入れるようになりました。確かにそれ以前もフィルム上での手直し自体は行われていたのですが、これは現場の手作業なので1点ごとにかかるコストが大きく、それよりも編集者を使った方が安く済んでいたのです。ところがデジタル化によってこの部分のコストが大きく下がりました。しかもできることが格段に増えたのです。ただ線を引いたり消したりするだけではなく、足りないトーンは他から引っ張ってくることもできるようになりました(Photoshopを使っている今の人にはあたり前の機能ではありますが)。こうなると編集者がちまちまと手作業で直す必要はなくなります。その方がコストも安いし、仕上がりも綺麗なのですから。ですが、この仕上がりが綺麗、というのがくせ者でした。元原稿に抜けや落ち、はみ出しなどのミスがあっても、刷り上がった雑誌を見る限りはそれと判別できなくなったのです。

 これによって、単行本作業で作家が直しを入れるために雑誌の刷り出しを確認する、というのはあまり役に立たなくなってしまいました。いえ、ネームのミスや大きな間違いを確認するには十分ではあるのですが、細かい部分の直しは原稿にあたってみないとわかりません。ご存じのように、一般に漫画の原稿はB4の厚めの紙ですから、どうしたって取り回しは刷り出しよりよろしくありません。必然的にチェックは甘くならざるを得ません。その結果、雑誌入稿時と同じような細かい部分の直っていない原稿が、再び入稿されることになります。そしてまたしても印刷所で取り込んだデータを修正することになるのです。明らかな二度手間、というヤツです。

 では、こうした二度手間を避けるにはどうしたらいいか。そのためにはすでに修正された雑誌のデータを使用すればいい……というわけで、話は現在に戻ります。

 確かにこのシステムは、一つ一つの局面では正しい改善だったと思うのですが、結果としてなにがオリジナルなのかまったくわからなくしてしまったと思います。もちろん、もともと商業漫画というのは、漫画原稿自体が完成物ではないのですが、それにしても元原が大きな基準になっていました。ところが、今ではどちらかというと印刷所にあるデータの方が基準となってしまっています。しかも、印刷所が直したデータが作家の所に戻っていくプロセスがあればいいのですが、その部分がないために作家も自分のデータがどう変化したのかよくわからなかったりします。特にデジタルで原稿を描いていると、いちいち画面と照らし合わせるのは見づらい上にチェック漏れもしやすく、かといってプリントアウトとつきあわせる場合は、どのバージョンのプリントアウトかを明確にしておかないと、直さなくてもいいところを直したり、すでに直っているところを元に戻したりの無駄な作業が発生しやすくなります。

 理想を言えば、漫画家が原稿を直し、それを編集部がチェックして直しを要請して、漫画家がそれに応えて、というキャッチボールの果てに完成原稿を入稿すればいいのですが、現状では漫画家にそこまでの負担をかけると次の原稿が上がらなくなる&キャッチボールの手間がかかりすぎるため、編集部と印刷所のキャッチボールになっています。そのため、漫画家は自分の意図しない変更を施されたり、極端な場合、今回のような事件が起きたりします。まずは綺麗になったデータを漫画家の所に戻せる仕組みを作ってほしいと思うのですが、このあたりは印刷所のデータ囲い込みによる仕事の確保という側面がある以上難しいと思います。



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